野猿コラム「野猿にハマっていった経緯」&「野猿メンバー紹介」

※かつてホームページに載せていた文章を転記しました

 

野猿ハマっていった経緯」

そもそも「Get down」の頃は野猿の存在すら知りませんでした。 野猿は私よりも先に弟が聞き始めたようで、弟が聞くの聞いていて「叫び」のサビ部分ぐらいは聞いたことがあるという程度でした。なので野猿がどんな人達で構成されているのか、それどころか「した」の番組から生まれた企画ものだということすら知りませんでした。時期的に私自身が「宮川賢の誰なんだお前は?!」にハマっていた頃であり、テレビを見る機会が減っていたのでそのせいもあるかもしれません。でも「叫び」野猿というグループの存在は気になっていたらしく、「叫び」が見たくて1998年のFNS歌謡祭を見ていた記憶があります。しかし、実際にこの時歌ったのは「SNOW BLIND」でちょっと残念に思っていました。 私が次に野猿を目にしたのはスマスマのトリビュートのコーナーでした。SMAPファンでもあった私はいつものようにスマスマを見ていたのですが、この時の野猿を見て一気にハマってしまったというわけです。SMAP野猿全員 でやった「叫び」が良かったのが大きな要因だとは思います。スマスマのオンエアの2日後ぐらいに「Be cool!」発売だったと思うのですが、発売日 には「Be cool!」も含め野猿の今までのシングルをすべてレンタルしてきてしまうという行動に走ります。そして、この時に「Get down」の存 在を知ったというわけです。「Be cool!」が発売になった頃、少しずつ野猿が出演した歌番組を見るようになりましたが、ビデオまでは撮っていな かったので今思うともったいないことをしたなと思っています。うたばんとかいいともとか見ていた記憶だけは 残っているんです。ビデオを撮るようになったのは横アリのコンサ以降のことです。トリビュートをきっかけにしてハマリ、本格的にハマったのは「した」でやってくれた横アリドキュメントがきっかけかもしれません。でも「STAFF ROLL」はしっかり発売日に買っていました。そして、そのままハマりこみ現在に至るというわけです。どうしてここまでハマってしまったのか自分でもよく分かっていません。気づけば武道館コンサにも行き、夏の集会にも行っていたという感じです。  

 

野猿メンバー紹介。

内容から推測すると完全撤収後に書いたものと思われます。

 

 

ボーカルーチーム
石橋貴明とんねるず タカさん
東京都板橋区出身 1961.10.22
関口とともに野猿実行委員会に所属している。この方の一言で野猿の運命は変わるといっても過言ではない。タカさんの一言に野猿ファンはドキドキさせられていた。2000年紅白直前に急性胃腸炎にかかるも本番は無事に出演。

 

木梨憲武とんねるず ノリさん
東京都世田谷区出身 1962.3.9
歌もうまいし、絵もうまい。とても器用な方。完全撤収でのアッコさん、名古屋の「Missing」うたばんでの「ギャランドゥ」など数々の名パフォーマンスを残す。実家は自転車屋。半田さんの親友。

 

平山晃哉(アクリル装飾)

テルリン、ロンリー、赤玉兄、勘違い1号、びっくり1号、大使、エロチカ等
北海道洞爺湖温泉出身 1965.11.4
野猿メンバーで唯一ソロ曲を持っている。洞爺湖温泉観光親善大使をつとめている。普段は好青年であるが、午前4時を過ぎるとエロチカになるらしい。ニックネームの多さは野猿で一番。テープでRを描くのはすばらしいの一言につきる。Will Callのメンバーの一人。

 

神波憲人(衣裳)

カンちゃん、赤玉弟、勘違い2号
新潟県上越市出身 1971.5.8
野猿のアイドル担当。Be cool!~Chicken guysの頃まで髪が赤かった。よく泣く。矢沢永吉のファンであることは有名な話。ライブでは矢沢が降臨します。ボーカルオーディションの時に歌った曲も永ちゃんだった。ジョビジョバのマギーさんと永ちゃんのライブに行っているらしい。左利き。平山さんと同じくWill Callの一人。

ダンサーチーム

成井一浩(大道具)

ナルナル
神奈川県横浜市 1970.5.10
元ボーカルチームで、黄金の第2列の一人。バカちゃんの先輩。撤収ツアーの前に肺気胸になってしまい、撤収ツアーは完全撤収の2日間しか参加できなかった。振り付けについていけない関口に対しての成井さんの「何が?」は名言であったと思います。

 

飯塚生臣(視覚効果) ジェリー
埼玉県 1972.1.3
黄金の第2列の一人。お父さんはなかなかライブに来ない人として有名だった。初めてお父さんが来たライブは夏の集会in宮城。完全撤収は来てたようです。紅白出場記念突撃テレホンにおいて公共の電波を使い「今日、ご飯いらないの?」と普通に親子の会話をしたことがある。ホッシーと2人でアニマルズである。実は野猿メンバー結婚第1号であったらしい。

 

大原隆(大道具) バカ
山梨県西八代郡 1974.3.5
黄金の第2列の一人。1999年紅白の直前に急性腸炎にかかり、どうなることかと心配された。FUNに出たときは何故か女性関連の話が多くなる。

 

星野教昭(ロケドライバー) ホッシー
千葉県鴨川市 1963.11.18
鴨川のミックンとして鴨川ではシャチより有名だったらしい。プリンが好き。扇風機をベロで止めるという特技を持っていて、色々なところで披露している(主にうたばん)野猿の裏番。生ダラパチンコ企画は準レギュラー。

 

網野高久(持道具) シュウ
東京都品川区 1966.2.3
第9弾シングルで浅野っちとメンバーチェンジになり、付き人となった。それにもかかわらずおいしいところ満載だった(しょっぱい豚汁、ペットボトルにストローを入れる等)撤収ツアー。お父さんのキャラが濃く「カエルの子はカエルだな」という名言がある。

 

高久誠司(カメラクレーン) タカク
福島県白河市(育ちは東京) 1967.8.27
お酒が大好き。ドライレクの男泣き、半田VSタカク一本勝負、戒めなど関わっている事件が多い。「お見合い結婚」に出演するなど野猿イチの演技派。笑い声に特徴がある。ジェリーに続いての結婚だったようです。

 

半田一道(スチールカメラ) ゴテ
神奈川県横浜市 1963.11.27
2000年は「ト」の人。ノリさんの大親友らしくよくいじられている。「叫び」プロモーションでロンリーチャップリン事件を起こしている。いいとも「あなたが平均さん」のコーナーでは元野猿と紹介され毎回写真を撮っていた。ほんとのうたばんにおける1人SPEEDは傑作でした。

野猿に縁のある方々

CA First impressionに参加
本名:荒井千佳、本職は音声さん。タカさんのお気に入りで、それはウルトラクイズの時から顕著であった。音声の仕事をやりたいからということで、武道館で野猿を脱退。その後、テレビで見切れることはあってもステージに立つことはありませんでした。

 

浅野吉朗 太陽の化石に参加
本職は構成作家。ラジオのハガキ職人からこの道に入ったらしい。野猿総選挙で松ハニーに勝ち、シュウさんと交代で野猿に入った。「喰いまくります」発言、FUNにおける今田さんとのやりとりなどが印象深い。完全撤収には4月6日のみ参加だったそうです。

 

saki starに参加
本名:小林紗貴女猿メンバーの1人。歌った当時は高校生。オーディションの時から歌は上手だった。撤収ツアーではCAの代わりに「First impression」を歌う。

野猿に縁がある方々

関口正晴 とんねるずマネージャー
元大道具。成井さんと同期らしい。タカさんと同じく野猿実行委員会の一員。赤玉事件の時に野猿に入ろうしたが、CAによって拒否された。その後うたばんにZ氏として出演。モザイクはかかっていたものの、最終的には正体を明かされてしまう。ウルトラマンゼアスに出演しているらしい(未確認)

 

松村匠 「した」プロデューサー
通称松ハニー。We're the YAENにもMCで参加しています。野猿総選挙では浅野っちの対立候補として出馬するものの、負けてしまう。コントにもよく出ており、人力車、死体、犯人、バロンなどが有名。「ほんとのうたばん」のチュパチュパも有名。

 

秋山勇人 カメラマン
通称幻の野猿。ジャニーズシニア時代(硝子の少年、愛されるより愛したい)はメンバーだったが、野猿となった時はメンバーからぬけていた。ウルトラクイズで優勝したら野猿に入ると宣言していたが残念ながら準決勝で敗退。

 

神原孝 ディレクター
通称カンバラ。1回目の人気投票で最下位だったため野猿脱退が決まる。そして番組も辞めていったらしい。野猿がMu-Muに出演したときに、ノリさんから自分のVTRが長かったとのツッコミを受けていた。その後フジテレビの人気番組だったヘキサゴンを当てるがその後は不明。

 

太田一矢 ディレクター
通称ヤン。成田の入れ替え戦野猿脱退が決定。ウルトラクイズにおいても成田で置いてけぼりをくらい、成田は因縁の地である。神原さんと違ってその後も番組に残り色々と出演してました。